BIOGRAPHYレコーディングエンジニア片倉麻美子

PROFILE

片倉麻美子

片倉 麻美子(かたくら まみこ)Mamiko Katakura

1997年(株)ミキサーズラボに入社。
ON AIR麻布スタジオのハウスエンジニアを経て2007年にフリーランスに。
(株)ミキサーズラボとマネージメント契約を結び、同年よりON AIR麻布のチーフエンジニアに就任。
2011年に拠点を全てAzabu-O Studio(ex.ON AIR麻布)に移しプロデュース業も始動。
2012年からは環境も新たに単独航海に出帆!

■主な取引先

  • ユニバーサルミュージック合同会社
  • (株)アミューズ
  • (株)ダオ
  • 日本コロムビア(株)
  • (株)EMIミュージックジャパン
  • (株)EPICレコードジャパン
  • (株)シブヤテレビジョン
  • (株)フェイス音楽出版
  • (株)ハーフトーンミュージック&システムズ
  • (株)オン・アソシエイツ音楽出版
  • (株)メロディー・パンチ
  • (株)愛印
  • (有)パブロ

PICKUP

谷村新司/斎藤工/藤木直人/一青窈/上戸彩/福山雅治/SEX MACHINEGUNS/TULIP/尾崎亜美/小野正利/寺尾聡/工藤慎太郎/織田裕二/辛島美登里/川江美奈子/谷村詩織/諫山実生/井上鑑/the CYCLE/ammoflight/BUBBLEGUM/乙三./DISCOGRAPHY-xero/COLD BAND BANK/映画「GOEMON」/映画「サマーウォーズ」/映画「舟を編む」/映画「しまじろうシリーズ」/映画「ぼくたちの家族」/映画「バンクーバーの朝日」/NTV「弱くても勝てます」。/TBS「おかしの家」

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HISTORY

生まれ:日本橋浜町の産院で長女として産まれる。四つ下に弟がいる。親子三代続く生粋の江戸っ子。

幼少時代:近所の人に男の子とよく間違われひそかに傷つく(笑)。大音量に恐怖を感じ、遊園地とゲームセンターのそばを通ると怖がって泣いて両親を困らせていた。

小学校時代:ヤマハのピアノ教室に5年ほど通うも、一瞬来た産休先生に指番号通りに弾くよう指を押さえつけられ強要されて、あっさりやめる。また学校の音楽の先生には「君のピアノには感情がない」と追い打ちをかけられトラウマに。世は歌謡曲、アイドル全盛期。明菜ちゃん派でした。高学年の時にMJ「スリラー」に出会って衝撃を受ける。また、どうしても欲しいとお年玉にねだったのが学研電子ブロック。エンジニアの素質がこの頃芽生えたかどうかは疑問。

中学高校時代:友達に誘われて入ったまま抜けられず卓球部に6年間在籍。ラケットは表一枚という非常に珍しい種類を与えられる。ニューロマやイカ天やジャニーズにハマる友人たちの影響をそれなりに受けつつ、一番ハマったのは宝塚。好きだったのは渡辺美里。芸術選択で音楽に興味がありながらも、それを選ぶ友人の多さに書道に変更、という天の邪鬼な一面も。小劇場に通ったりジャズダンスを習ったり、受験がないことを十二分に謳歌する。

大学時代:行きたいところが特になかったためラクして高校の成績で日本文学科へ入学。今度こそ自分の意志で、と思ったけれどやはり誘われるままにテニスサークルという名の飲み会サークルへ。この時培った技術?が社会人になっていかんなく発揮される。"感情表現の豊かな楽器"という思い込みからバイオリンを始める。純正律と平均律の違いを体感し感銘を受ける。好きな音楽家はコレルリ、ヘンデル、モーツァルト。また新宿のオールディーズライブハウスにハマり、カッコよくツイストが踊れること、を目指す。

空白の時代:ライブハウスにハマったこと、浅倉大介氏にハマったことをきっかけに突然"レコーディングエンジニアになる"と思いたつ。両親いわく、言い出したらきかない性格のため止める余地もなく、通常の就職活動はせず学費を稼ぎながら専門学校に通い始める。
理系でもなかったため、弟の理科の教科書を借りて電気、物理の勉強をやり直す。シンセで打ち込みを始めたり、今まで知らなかった音楽を聴きまくったり大事な準備期間でした。

(株)ミキサーズラボ入社:専門学校の先生に「あなたの年齢と性別ではスタジオのブッキングに入れればラッキーぐらいに思っていた方がいい」と宣言され、その通り不採用が続き、途方にくれていた頃、(株)ミキサーズラボから敗者復活のお声がかかる。1997年ON AIR麻布(2009~2011 Azabu-O Studio)に配属。大学を卒業してまでなんでこんなところに来たの?と先輩方には半ば呆れられながらも厳しく温かく育てていただく。

フリーランスに:日本の歌謡曲を聴いて育った普通の女子学生が普通の四大を卒業して就職してOLになるところがなぜかレコーディングエンジニアに、そして2007年度からはフリーランスとして活動を続けているという、エンジニアにしては出生が珍しい"変わり種"(井上鑑氏いわく)である(笑)。2011年度からは生まれ育った麻布オースタジオに全ての拠点を移し、現場第一主義をかかげプロデュース業も始める。

ずっと興味があった5.1chサラウンドの世界だったが、念願かなって2009年よりオファーをいただくようになる。2013年より映画の音の世界全体に勉強の幅を広げ、(株)アーティストゥリー・メディアに仲間入りする。

2016年度からはさらに環境も新たに単独航海に出帆!

時代性と普遍性を合わせ持つ音の表現を目指し、代表作は次回作(笑)とニンジンをぶらさげ今日も相棒GENELECと現場に向かいます。

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